便利な世の中
最近のトイレはセンサーで反応して電気をつけたり、トイレは蓋を開け閉めもお手の物、そして自動的に流してくれたりもする。
素晴らしく便利になったと言えるだろう。
だがあえて私は文句をつけよう。
1つ目はセンサーで反応して電気をつけてくれることは節電にもなり良いことだろう。
だが糞との戦いで長い間、微動だにしないときもある。
するとどうだろう?センサーは動かない私たちに人はいないと、判断して電気を消してしまう。
糞との戦いの時に急に真っ暗になる悲しさ。
なんと切ない気持ちだろうか。
一度人が入ったら出るまでは電気を消さないでほしいものだ。
2つ目 長い戦いを終え糞の確認をし拭いてる際に少しトイレからアナルを離すとそれはおきる。
そう自動洗浄だ。
拭いてる最中にながれていく糞と紙。
手には新たに拭き終わった紙があるというのに。
まだ、普通の糞の時はいい。
これが朝一など検便をする時に起きたらどうだろうか?
それほど絶望的なものもないだろう。
朝から二発の糞をするなど不可能に近いだろうから。
便利になることは良いことだと。
しかしトイレに関してはそこまでする必要があるのだろうか?
もう一度考えてみてほしいものだ。